[日記]人生は「札束で頬を叩かれるような話」の連続なのです

2月2日(水)の午前11時を過ぎました。

自宅アパートから徒歩30分のところにあるコーヒーショップで、この日記を書いています。最近はここで書き仕事をすることが多いです。美味しいコーヒーと、気持ちを落ち着かせてくれる音楽に囲まれながら、PCのキーを叩いています。

今日は、例の外出先での仕事がなく、別の外出先での仕事も入らなかったので、この場所で遅めの1日が始まっています。請け負っている書き仕事が溜まっていますので、川崎記念の結果を気にしつつ、その書き仕事と格闘する1日になりそうです。

などという、私の近況報告ばかりではつまらないですよね。そこでこんな「競馬の話」でも。と言っても、一部の地方競馬界隈でザワザワとしている「あの話」について、ということで。私も面識がある方の話で、その方のブログを見た時は非常に驚いたのですが・・・。

その方が見ている可能性もありますので、これから書く話は少々ボカシながら、ということでひとつ。それでも、誰の話か気づいてしまう人もいるのでしょうけどね。

日本国という資本主義の社会で生きていると、札束で頬を叩かれるような気分になることが時々あります。私自身、三流広告代理店のサラリーマンだった頃も、その三流広告代理店を辞めてピンになって以降も、相手の言動からそんな気分になったことが何度もあります。

そしてそんな目に遭う度に、我慢して目の前のお金を取るか、自分の価値観を守るか、という選択を余儀なくされます。多くの場合、そんな時は頭に血が上っていますので、相手の要求が沸点を上回っているか、それとも沸点よりも低いのかがひとつの判断材料になります。人間ですから、一人一人沸点は違いますし、同じ人でもその時の気分や環境によって沸点は変わることもあります。

生きていく為にはお金が必要で、その為には働かなければならなくて・・・、という中で、その沸点をどう設定すべきか、悩まされる機会が増えています。コロナ禍になって、その悩みはますます大きくなりました。悩まされる内容が要求される仕事の内容だけではなく、生活様式やインターネット上での言動にまで及んでいますし・・・。

最後は、自分の価値観や置かれている環境と、その時の沸点に基づいて、相手の要求を飲むか、断るかを決めるしかありません。どちらを選択した場合でも自己責任ですので、もちろん覚悟も必要になるのですが。

私自身も年明け以降、競馬とは無関係なところで久しぶりに、札束で頬を叩かれるような話を経験しました。こんな経験は死ぬまで続くのかもしれないな、と思いつつ・・・。きっと、人生はそんな話の連続なのですよ。悲しい話ではありますが。

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