(重賞回顧)1996年第44回阪神大賞典~優勝馬:ナリタブライアン~
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名勝負の多い阪神大賞典の中でも、
最も良く語られるレースである。
ナリタブライアンとマヤノトップガンが3コーナー付近から
併せ馬のような形でゴール前まで激しい叩き合いを演じたレースだった。
天皇賞・秋12着、ジャパンカップ6着、有馬記念4着という
復帰後の戦績は物足りないものだった。
この阪神大賞典の勝利も何とかアタマ差。
故障する前のナリタブライアンだったら、
もっと楽にマヤノトップガンを突き放すことが出来たのではないか?
個人的にはそう思うことがある。
3冠を達成した3歳時のナリタブライアンの
次元の違う脚を知る人なら、
やはり同じ事を思ったに違いない。
しかしそんなナリタブライアンの状態とは別に、
手綱を取った武豊は
特別な想いでこのレースを迎えていたのではないだろうか。
ある競馬専門紙に載った彼のコメントが
全てを物語っている。
「ナリタブライアンに乗って
勝つことが出来なかった騎手にはなりたくない」
本来の主戦騎手は南井克巳。
その南井の負傷により、
ピンチヒッターを任されていた武豊。
「3冠」の時は別の馬に乗っているが、
その強さはもちろん理解している。
しかしその力を自らの手綱で引き出すことができない。
ナリタブライアンが万全の状態ではなかったとしても、
きっと騎手としてのプライドが
「ナリタブライアンに乗って勝てない」ことを許さなかったに違いない。
次走の天皇賞・春には主戦の南井克巳が戻って来る。
ここで勝たなければ本当に
「ナリタブライアンで勝てない騎手」になってしまう。
G1をいくつも勝っている男が
G2戦の叩き合いを制した瞬間に手を挙げてその勝利を喜んだ。
そのガッツポーズには、
そんな意味が込められていたように私には思えた。
前走の有馬記念の時、
フジテレビの中継ではレース後に
後検量室のモニターテレビでレース映像を振り返る
武豊と的場均(現調教師)の姿があった。
的場はこの有馬記念では騎乗馬がなかった。
しかしこの後検量室に姿があったのは
天皇賞・秋でナリタブライアンに代打騎乗していたからに違いない。
騎乗を終えた武豊とレースを振り返りながら
話し合っていたその内容は
恐らくナリタブライアンの状態であろう。
「強い馬で勝てない」ということは、
仮にピンチヒッターであったとしても
その騎手のプライドを大きく揺さぶるものなのである。
1996年3月9日(土)
阪神11R
第44回阪神大賞典(G2)
阪神・芝3000メートル
1着2枠 2番ナリタブライアン(59・武豊) 3分4秒9
2着8枠10番マヤノトップガン(58・田原成貴) アタマ
3着7枠 7番ルイボスゴールド(56・坂口重政) 9
4着3枠 3番トウカイパレス(56・佐藤哲三) 1/2
5着7枠 8番ハギノリアルキング(58・藤田伸二) ハナ
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