(独り言)「流れ」を考える
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朝の1Rから競馬場にいて、
馬券勝負をしていると仮定する。
その日、全く当たらない、
あるいは堅い配当の馬券しか当たらずに、
大幅マイナス収支のまま、
最終レースを迎えた時、
アナタは何を考えるだろうか?
A:このレースで高配当をゲットして、一発逆転してやろう
B:今日は「流れ」が良くない。最終レースは買わずに撤収しよう
多くの場合、私はAを選択する。
それがギャンブラーとして正しい姿だと思うからだ。
買わない馬券は当たらないのである。
しかし「結果は?」と尋ねられると、
Bの方が正解であることが多い。
ギャンブルには「流れ」というものがある。
そう考えている人は少なくない。
「流れ」とは一体何なのか?
よく考えてみると、
この「流れ」ぐらい実態のない、
非科学的なものはないようにも思える。
無意味なものとして、
無視をしても良いのではないか?
しかし競馬を長いことやっていると、
この「流れ」の存在を感じる場面が少なくない。
そう考えると無視してはいけないような気分になる。
何故当たらないのか?
競馬において予想をするには、
「近走成績」「距離適性」「コース適性」「調教」「血統」
「騎手の実力」「馬場状態」など、
様々な要素から物事を考える必要がある。
もちろん、各自が重視するポイントは違うだろう。
そのポイントのおかげで
高配当を手にした経験もある筈だ。
だからきっと、
その見方や考え方は間違ってはいない。
だが調子がいい時とはどこかに「ズレ」があるのだろう。
そのポイント自体がその日、
またはその開催におけるポイントとズレている事も
あるのかもしれない。
きっとこれが「流れ」の正体なのではないか?
最近はそう考えるようになった。
「ズレ」が生じていることは理解できた。
ならば修正すればいい。
普通なら誰でもそう思う。
だがその「修正」が意外に難しい。
どう「修正」すれば良いのか見極めることが出来ないと、
何をどう考えていいのか、
わからないからだ。
しかもその作業を1日のうちに行うのは
かなり困難な作業である。
だからきっと、
そのまま「流れ」てしまうのだろう。
「競馬は考えるスポーツだ」と
関東にある某競馬専門紙が言っていたことがある。
この「流れ」との戦い方も
「考える」という作業の中でしか、
きっと見えてこないのだろう。
「考える」しかないのだ、「考える」しか・・・。
と、最近の自分に言い聞かせ続けているだけなのだけど(笑)。
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