単勝オッズ190.0倍、
ブービー人気のケイアイドウソジンが逃げ切り勝ちを決めた
18日(土)の東京11RダイヤモンドS(G3)。
レース後、この結果に疑問・不満の声を挙げた人は少なくなかった。
代表例として血統評論家・水上学さんのブログ記事を紹介しておこう。
本当にアホくさ(白線の内がわ)
怒りたくなる気持ちは理解できる。
ラップタイムを見るとスタートして8ハロン目に
「13秒9」などという数字が出てくる。
競馬中継番組でパドック解説を務めたある専門紙トラックマンが
「調教並み」と評していたが、
こんなペースならば近5走で二桁着順を続けていた馬が逃げ切ってしまっても
全く不思議はない。
ケイアイドウソジンの鞍上を務めた吉田豊騎手を除く15人の騎手に
憤りを覚えた人も少なくはなかっただろう。
だが同時にこんなことを考えた。
ケイアイドウソジンを楽にする訳にはいかないと考えて
途中からでもハナを奪いに行く騎手がいたとする。
あるいはケイアイドウソジン以外に
ゲートが開いた瞬間から自らがレースを引っ張り、
逃げ切りを狙おうと試みる騎手がいたとする。
その結果として最後の直線で脚を無くして
馬群に飲み込まれてしまったとしたら・・・。
あるいは他の人馬の目標となり、
勝負どころで捕まってしまったとしたら・・・。
馬券を買ってレースを見ている我々ならば、
「積極的なチャレンジ精神の結果だから仕方が無い」
という見方をする人もいるだろう。
しかし競馬サークル内における
その騎手の評価はどうなるのだろうか?
「騎乗ミス」として「もうアイツに騎乗依頼はしない」
という話になってしまうのではないか?
誰かに確認をした訳ではないが、
今回のダイヤモンドSのようなレースになってしまうということは、
そんな想像をするしかないように思える。
「失敗」をして仕事を失うリスクを考えれば、
無難な競馬で「前が止まりませんでした」とコメントする方が
確かに騎手にとっては安全だ。
吉田豊騎手が何故「逃げる」という選択が出来たのか?
これも想像だが、
近走において結果が出ていない馬だけに
ある程度の「冒険」が許される状況にあったということではないだろうか。
全く人気のない馬だった事もあるだろう。
そんな「失敗」しても責められないような状況にならないと、
「騎手」と呼ばれる人たちは
馬券を買って見ている側が期待しているようなレース運びをしてくれないものなのだろうか。
馬券を買う側としては
「あんな結果になるのならば、みんなもっと早く仕掛けて欲しかった」と思っても、
馬を走らせる側や乗っている騎手は
「前に行って脚を無くす形で負けたくない」と考える。
ここ何年か、競馬について、
それぞれの立場がもたらす認識についての「ギャップ」というか、
「ベクトルの違い」の大きさについて指摘しているが、
レースそのものについても
「馬券を買ってレースを楽しむファン」と
「馬を走らせる馬主・調教師・騎手」との思惑が全く異なっていることが
このダイヤモンドSを見ていてよくわかる。
どちらが正しいとか、誰が悪いとか、そんな事を言うつもりは全くない。
だがこの溝を埋める努力なしに、
競馬人気の復活はないように思える。
私は「馬券を買ってレースを見る」立場の人間だが、
それ以外の立場の人にはこのダイヤモンドSは
どんなレースであるように見えたのだろうか?
前走・バレンタインS時の1000メートル通過57秒8には及ばなかった。
それでも58秒0はかなり速い。
だがそれは並の逃げ馬における基準である。
サイレンススズカにその基準は当てはまらなかった。
1000メートル通過58秒0で逃げた
武豊騎手とサイレンススズカを離れた2番手で追いかけたのは、
1996年の皐月賞馬イシノサンデー。
皐月賞馬と言えどもこのペースを深追いすれば、
直線で脚が上がってしまう。
この日、手綱を取った蛯名正義騎手はそう判断していたのかもしれない。
両者の差は徐々に縮まっていったのは3コーナーを過ぎてからだった。
4コーナーから直線へ。
サイレンススズカはイシノサンデーの射程圏内に入ったように見えた。
だがその直線のその先にある急坂で脚が止まってしまったのは
イシノサンデーの方だった。
サイレンススズカとの差が再び広がる。
そしてイシノサンデーはローゼンカバリー、ジェラスガイ、インタークレバーといった
後続馬群に飲み込まれていく。
オーバーペースに巻き込まれまいという意識はあっても、
それでもそのペースに飲み込まれてしまったのだ。
いやサイレンススズカは逃げ切り勝ちを決めたのだから、
「オーバーペース」という表現も正しくないのかもしれないが。
中山競馬場内のファンからも驚きの声が上がる。
そしてサイレンススズカの逃走劇はその後も続いた。
変則開催の為に中京競馬場で行われた小倉大賞典、金鯱賞、宝塚記念、
そして毎日王冠。
サイレンススズカはバレンタインSから6連勝を達成。
今でも語り継がれているサイレンススズカ伝説の第2章とも言えるこの中山記念は、
意外にもこの馬の重賞初制覇となったレースだった。
持ち前のスピードから注目を集めつつもその気性が裏目に出てしまい、
思うような活躍が出来なかった1997年の3歳シーズン。
しかし1998年、4歳となったサイレンススズカは違う。
この初タイトル獲得はそんな印象を
多くのファンに与えた一戦となった。
1998年3月15日(日)
中山11R
第72回中山記念(G2)
中山・芝1800メートル
1着8枠 9番サイレンススズカ(56・武豊) 1分48秒6
2着4枠 4番ローゼンカバリー(58・横山典弘) 1 3/4
3着8枠 8番ジェラスガイ(57・的場均) ハナ
4着6枠 6番インタークレバー(57・蛯沢誠治) 1 3/4
5着3枠 3番イシノサンデー(58・蛯名正義) 2
今年のドバイワールドカップデーは3月31日(土)。
そのドバイへ向かう日本調教馬が徐々に明らかになりつつある。
ドバイシーマクラシックに出走予定のトゥザグローリー、
ドバイデューティーフリーに出走予定のエイシンアポロン、
そしてトランセンドとともに
「あの馬」がドバイワールドカップの出走予定馬として名前を連ねた。
スマートファルコンである。
2008年の小倉・KBC杯(1着)以来、
中央競馬のレースに出走していないスマートファルコン。
全国の地方競馬で行われるダートグレードレースを渡り歩くこの馬。
「3年ぶりの中央競馬でのレース出走なるか」と注目を集めた
昨年のジャパンカップダートも回避。
トランセンドやエスポワールシチーとの「3強対決」が実現せず、
多くのファンをがっかりさせたスマートファルコンだったが、
陣営は「JRAのレースに戻ってこない」代わりに
「海を飛び越える」という選択をすることになった。
このスマートファルコンの「ドバイ参戦」だが、
「本当にドバイに行くのか?」という話が
インターネット上では議論されている。
ジャパンカップダートの時の事を考えると
そんな話になるのも止むを得ないだろうが、
まあ、その辺りの話は他の人にお任せしよう。
私は少々視点を変えた話でも。
この馬についてあまり語られていないというか、
この点をお忘れの方が意外に多いのではないだろうか。
2010年のJBCクラシック(船橋)、浦和記念(浦和)、東京大賞典(大井)、
2011年のダイオライト記念(船橋)、帝王賞(大井)、日本テレビ盃(船橋)、
JBCクラシック(大井)、東京大賞典(大井)、
そして今年2012年の川崎記念(川崎)。
スマートファルコンは現在9連勝中なのである。
ドバイワールドカップは「10連勝」を目指しての戦いとなるのだ。
昨年はヴィクトワールピサとトランセンドの「日本馬ワン・ツー」で決着したとはいえ、
さすがに今度は「世界」が相手となるレースである。
「10連勝」を簡単に口に出来るような状況ではない。
それでも連勝中である点は頭に入れておきたいところ。
この「記録更新」に期待なのか?
それとも「あえて」なのか?
どちらにしても興味深い一戦と言えるのではないだろうか?
「9連勝」の舞台となった競馬場は大井、川崎、船橋、浦和。
いずれも地方競馬では「最高レベル」と言える南関東の競馬場だ。
この馬はJRA中心のファンよりも、
地方競馬中心のファンの方がよく知っている馬だと言っていいだろう。
手綱を取る武豊騎手も
「この馬は地方競馬に育ててもらった馬ですから」とまでコメントした馬でもある。
「地方競馬代表」みたいな存在だと言ってもいいかもしれない。
このスマートファルコンのドバイ挑戦は
更に視点を変えればそんな側面も見えてくる。
注目しよう、その戦いぶりを。
もちろん、トランセンドなど他の日本馬たちの挑戦にもご注目を。
その馬が待機所での輪乗りに加わらず、
レース前なのに1頭だけ引き揚げて地下馬道を降りていく。
異常事態発生である。
その馬が単勝2番人気に支持されていた前年の覇者ウイングアローだったから、
場内も騒然となった。
東京競馬場でこの様子を見た人の中には
「故障なのか?」と不安を感じた人も少なくなかっただろう。
場内の発表は「検量のやり直し」とのこと。
鞍上の岡部幸雄騎手(当時)の自己申告によるものだった。
負担重量を調整する重りをコースのどこかに落としたとか、
そんな事情があったのかもしれない。
再度の検量を終えた岡部幸雄騎手は再びウイングアローに跨り、
馬場に姿を表したのだった。
レースは直線で先に抜けだして粘り込みを図るトゥザヴィクトリーに、
ノボトゥルーとウイングアローが襲いかかる。
勝ったのはノボトゥルー。
ウイングアローは後方からのレースを強いられ、
更に外を回わざるを得なかった点が影響したのだろう。
トゥザヴィクトリーをアタマ差交わして2着を確保するのが精一杯だった。
レース後、ウイングアローについて、
「あの検量のやり直しが影響した面もあったのでは?」という声があった。
確かにその側面は否定できないだろう。
レース後、岡部幸雄騎手には
「負担重量についての注意義務を怠った」として処分が科せられた。
だが2着に入り、馬券の対象となっているだけに、
後検量で負担重量に何らかの問題が生じた場合はどうなっていたのか?
日本中が注目するG1レースだけに、
大変な騒動になっていた可能性もある。
そんなアクシデントを回避したという点で
「検量のやり直し」という岡部幸雄騎手の判断を評価する声も各方面から聞かれた。
レースが後味が悪いものにならずに済んだのはその判断のおかげだろう。
競馬における「公正確保」の意味を
「第一人者」の判断の判断に教えられたレースだった。
2001年2月18日(日)
東京11R
第18回フェブラリーS(G1)
東京・ダート1600メートル
1着8枠15番ノボトゥルー(57・ペリエ) 1分35秒6
2着3枠 6番ウイングアロー(57・岡部幸雄) 1 1/4
3着8枠16番トゥザヴィクトリー(55・武豊) アタマ
4着4枠 8番サンフォードシチー(57・村山明) 3/4
5着5枠 9番ゴールドティアラ(55・後藤浩輝) 3/4
8日(水)に行われた佐賀記念(Jpn3)。
このレースが平日に行われたことが
意外に思われた人も多かったに違いない。
佐賀記念と言えば、
2月11日の「建国記念の日」に行われるイメージがある。
つまり大半の競馬ファンが「お休み」となる日に
行われることが多い重賞競走だ。
今年、平日に行われた理由は
2月11日が土曜日だったからであるに違いない。
調べてみるとこのレースが2月に行われるようになった2001年以降、
2月11日が土日の為に異なる日に行われたケースは3回ある。
2001年は2月11日が日曜日だったため、
翌12日の振替休日に実施。
そして2006年は今年と同様に2月11日が土曜日だったため、
13日の月曜日に実施となっている。
更に翌2007年は2月11日が日曜日のために
振替休日の12日(月)の実施だった。
しかし他の年は2月11日に行われている。
「佐賀記念と言えば2月11日」というイメージを持っている人は少なくないだろう。
地方競馬で行われるダートグレードレースも
JRA所属馬が出走できるようになって10年以上を経過するレースが増えてきた。
レースによっては佐賀記念のように
特定の祝日に行われるレースとして、
ファンはイメージしているケースも少なくない。
5月5日の「子供の日」と言えばかしわ記念(船橋)、
7月の「海の日」と言えばマーキュリーカップ(盛岡)、
10月の「体育の日」と言えばマイルチャンピオンシップ南部杯(盛岡)、
そして11月3日の「文化の日」と言えばJBCといった具合である。
しかし実際には「ハッピーマンデー」に行われる盛岡の重賞を除くと、
この祝日が土日と重なってしまった場合は別の日程で実施されている。
JRA所属の人馬も出走するレースだけに、
そのJRAの競馬開催が行われる土日は避けなければならないのだろう。
だから私は中央競馬と地方競馬がそれぞれ別々の主催者によって運営されているという、
現状の日本の競馬システムは限界があると主張しているのだ。
もし全国の競馬主催者が統一化されていれば
今年の佐賀記念は平日に行われるなどということはなく、
2月11日(土・祝)に実施となっている筈。
競馬ファンはその日に行われる重賞競走の日程で「暦」や「季節」をイメージする。
主催者の統一化はこうしたイメージを守る効果もあるのだ。
なんて、ここは「独り言」なのだから、
真面目な主張ばかりを書き続けるのは止めておこう(笑)。
ここからは「競馬と暦」に関する「冗談半分」の話題でも。
2012年の2月だからこそのネタである。
今年2012年はうるう年。
4年に一度の「2月29日」が存在する年である。
そこで提案である。
この「2月29日」は4年に一度の重賞競走を企画することは出来ないものか?
「4年に一度」なんて、
オリンピックだとか、サッカーのワールドカップのようで、
何となく楽しいではないか。
出来ればG1とかJpn1といったグレードのレースを実施して欲しい。
あっ、「4年に一度」だとグレードを取得するのが難しいか・・・。
だったら賞金だけでもG1・Jpn1級のレースにするということで。
えっ?その賞金は誰が出すのかって?
そんなに真面目に考えないの!!
「冗談半分」な話なのだから(笑)。
ちなみに今年の2月29日(水)は
川崎競馬場でエンプレス杯(Jpn2)が行われる。
エンプレス杯は「4年に一度」という訳にはいかないモンなあ。
かつてエンプレス杯で伝説を作ったホクトベガに申し訳ないし・・・。
でも一方で「うるう年特別」みたいな名前の条件クラスの特別レースのみ、
というのも何となく物足りないし・・・。
4年後の2016年に向けて、
誰かが企画してくれないものだろうか?
その2016年に私は何をしているのかはわからないけど(笑)。
今振り返れば、
この時に後の騒動が起こる前触れのようなものがあったレース、
ということなのかもしれない。
この時点で起きていた事も
常識的には考えられないアクシデントだったのだ。
スタートの瞬間、
東京競馬場は騒然となった。
1頭だけゲートから出ない馬がいる。
単勝オッズ2.8倍の2番人気に支持されていたラガーレグルスだった。
前走でラジオたんぱ杯3歳Sを勝ち、
注目を集めていた1頭だったのだが・・・。
「出遅れ」などという次元ではない。
ゲートが開いて何秒か経過した後でようやくその姿を現して、
遙か前方の馬群を追いかける。
勝ち負け以前の問題だった。
結果は11頭立ての7着。
普通にゲートを出ていれば、
どんな着順になっていたのだろうか?
このアクシデントをJRAをはじめとする関係者がどう考えていたのか?
その2走後に再び大変な事態が発生する。
「2走後」とはG1・皐月賞。
ラガーレグルスはこの時、
なんとゲートから出ることが出来ずに座り込んでしまう。
そのまま競走中止に。
共同通信杯4歳Sとは比較にならない注目度の高いレースだけに
レース直後から大騒動に発展した。
中山競馬場の整理本部に詰め寄り、
猛然と抗議をしていたファン達の姿を私は未だに忘れることが出来ない。
この皐月賞でのスタートにおける対応のあり方についても
考えなければならない面はあるだろう。
しかしラガーレグルスはこの共同通信杯4歳Sでも
「出遅れ」では済まされない大失態を犯していた馬なのだ。
その共同通信杯の時点での関係者の対応が果たして適切だったのか?
この点は今でも疑問として残っている。
後々まで語られる2000年の皐月賞における「ラガーレグルス事件」だが、
この騒動を語る上で
2走前となるこの共同通信杯4歳Sとの関連性を無視することは出来ない。
このレースを勝ったイーグルカフェは
2走後のNHKマイルカップでG1初制覇を果たす。
新馬戦の頃には勝ち切れなかった府中での重賞競走で、
コースを克服して勝った経験がG1タイトルに結びついた。
その意味ではイーグルカフェにとっても
このレースは大きな意味を持つものである筈だ。
でもどうしても後の大騒動の前兆となる出来事があったレースとして、
この年の共同通信杯4歳Sは記憶に残ってしまうのだ。
イーグルカフェには大変申し訳ない話なのだが・・・。
2月6日(日)
東京11R
第34回共同通信杯4歳S(G3)
東京・芝1800メートル
1着8枠11番イーグルカフェ(55・岡部幸雄) 1分49秒7
2着8枠10番ジーティーボス(55・吉永護) アタマ
3着1枠 1番マルターズホーク(55・的場均) アタマ
4着6枠 6番ベルボクサー(55・後藤浩輝) クビ
5着2枠 2番マチカネホクシン(55・武豊) 1 1/2
4日(土)の小倉11R小倉大賞典(G3)。
1番人気に支持されていたコスモファントムは3着。
鞍上の蛯名正義騎手はこのレースで
JRA全競馬場重賞制覇という記録がかかっていたが、
残念ながら記録達成はならなかった。
注目していた方も多かったに違いない。
JRAの競馬開催が行われる10ヶ所の競馬場全てで重賞勝ちを果たす
「JRA全競馬場重賞制覇」という記録だが、
達成した騎手は安田富男元騎手、武豊騎手、藤田伸二騎手
の3人しかいない。
そして9つの競馬場で重賞勝ちを果たし、
記録達成まで「あと一つ」に迫っている騎手は
蛯名正義騎手を含めて4人いる。
興味深いのはその4人の騎手それぞれの「残る一つの競馬場」である。
蛯名正義騎手は小倉。
横山典弘騎手と佐藤哲三騎手は新潟。
福永祐一騎手は福島。
いずれも「ローカル」と呼ばれる競馬場だ。
JRAに所属している騎手は
10ヶ所ある競馬場全てで騎乗可能だが、
その10ヶ所全てで騎乗経験のある人はそれほど多くはない。
騎乗成績がいい人に限られるというものでもないだろう。
リーディング上位騎手の場合は
どうしても東京・中山・京都・阪神での騎乗機会が多くなり、
夏競馬の時期を除けば「ローカル」での騎乗は少なくなる。
その「ローカル」の競馬場は重賞競走の数も少ない。
数少ない重賞競走で騎乗馬を確保し、
その上で勝ち鞍を挙げなければ、
この記録は達成できないのだ。
その「ローカル」の競馬場での競馬開催だが、
今年から開催日数が減少している競馬場がある。
売上減少に悩むJRAにとって、
この「ローカル」の競馬場はその足を引っ張る要因の一つになっているという。
だから開催日数を減らすのだろう。
こうした傾向が続くと競馬開催がなくなってしまう競馬場も出てくるに違いない。
そうなるとこの「JRA全競馬場重賞制覇」という記録はどうなってしまうのか?
記録達成まで「あと一つ」と迫りながら、
その「残る一つの競馬場」で競馬開催がなくなってしまう。
こんな話も5年後、10年後には、
決して冗談とは言えない日がやってくるのかもしれない。
「あと一つ」と迫った4人には是非ともこの記録を達成して欲しい。
実は「あと2つ」という人も8人いる。
その8人にもこの記録を狙って欲しい。
挑戦することさえ出来ない記録になってしまう可能性もあるのだから。
父は1986年の凱旋門賞馬ダンシングブレーヴ。
母もアメリカでG1・7勝のグッバイヘイロー。
デビュー前から大きな注目を集めた馬だった。
1997年にデビューして、
東京スポーツ杯3歳Sまで3連勝。
さすがは良血馬だ。
誰もがそう思った。
だがブラッドスポーツと呼ばれる競馬でも、
血統だけでは天下は取れない。
続くラジオたんぱ杯3歳Sで2着に敗れ、初黒星。
年が変わった初戦の弥生賞でも3着だった。
この弥生賞で先着を許した相手がスペシャルウィークとセイウンスカイ。
そうなのだ。
この2頭の他にグラスワンダーやエルコンドルパサーもいる、
後々まで語られた役者揃いの世代だったのだ。
続く皐月賞は2着。
デビュー前から多くの人が抱いた期待は間違いではない。
そう思った人はまだまだ多かったに違いない。
だがダービーは14着。
菊花賞は5着。
有馬記念でも6着。
期待に応えることは出来なかった。
翌1999年。
キングヘイロー陣営が初戦に選んだレースは
多くのファンにとって意外なものだった。
デビュー戦以来となるマイル戦、東京新聞杯。
路線変更である。
鞍上も福永祐一騎手から柴田善臣騎手へ。
心機一転といったところか。
「距離不足では?」という不安の声も一部にはあったが、
さすがに戦ってきた相手が違う。
道中5番手から直線で抜け出して、
2着ケイワンバイキング以下に3馬身差をつけての勝利。
東京スポーツ杯3歳S以来の勝ち星だった。
この路線変更は正解だったに違いない。
「距離不足」どころか、
翌年2000年には更に距離の短い1200メートル戦のG1、
高松宮記念を制することになるのだから。
新馬戦の頃に多くの人が期待した将来とは
大きく違う展開となってしまったかもしれない。
だが天下を取ることが出来る素質馬・血統馬であったことを
しっかりと証明することが出来た。
この東京新聞杯はキングヘイローにとって、
競走馬生活の大きな転換点と言えるレースとなった。
1999年2月7日(日)
東京11R
第49回東京新聞杯(G3)
東京・芝1600メートル
1着6枠11番キングヘイロー(57・柴田善臣) 1分33秒5
2着1枠 2番ケイワンバイキング(57・横山典弘) 3
3着8枠16番シンボリフェザード(56・四位洋文) 頭
4着4枠 7番トップパシフィック(54・田中勝春) 1/2
5着3枠 6番ロードアックス(54・蛯名正義) 1 1/2
フリオーソという馬が南関東はもちろん、
地方競馬では最も強い馬だということは
もちろん理解している。
でも昨年5月のかしわ記念以来の実戦だ。
地方競馬に所属する馬というのはJRA所属馬と比べて、
「鉄砲駆け」というモノをあまり期待できない気がする。
だから25日(水)の川崎記念では馬券の対象から外してしまった。
結果は3着。
勝ったスマートファルコンからは1秒6も離されていたのだから、
本調子ではなかったのだろう。
でも3連単しか買っていなかった自分にとっては、
フリオーソを馬券の対象から外してしまったのは
大間違いということになる。
本調子ではなくてもマイネルアワグラスやニホンピロアワーズといった
JRA馬には先着を許さなかった。
(マイネルアワグラスも買っていなかったけど-笑)
さすがは地方競馬最強馬。
その地力の高さには改めて驚かされる。
「フリオーソに負けた」
レース後、そんな気分になった。
でもそんな気分になることが出来るのも
「競馬の魅力だ」と昔から思う。
川崎記念の直後にTwitterで
「馬券はケン(見)で正解だった」というツイートを散見した。
確かに正しいかもしれない。
でも無理筋でも馬券を買うことで、
その戦いに参加した気分になるのも楽しい。
そんな事を思うのは私だけだろうか。
もちろん「負けた」後は物凄く落ち込んでしまう。
「今夜、飯を食う金どうしよう?」
「帰りの交通費が・・・。仕方が無い、歩いて帰るか。」
そんな目に遭うかもしれない。
でもそんな「敗者」の気分を目一杯味わうことが出来るのも「競馬の魅力」だ。
必死で戦おう。
そしてボコボコにされた気分に陥るほど「負け」を味わおう。
そもそも「馬券で儲ける」というのは非日常の体験なのだ。
非常識を気にした所で仕方が無いではないか!!
だから競馬は楽しいのだ!!
・・・と書いてみたけど、
どうしてフリオーソを消してしまったのだろう。
無理に強がるのも疲れるなあ・・・。
そんな困った男が書いているメルマガなのである(笑)。
過去の重賞競走における想い出を語る「重賞回顧」。
今回はその中でも特に個人的な想い出となる点をご了承頂きたい。
実はこの1993年の川崎記念は
私が初めて生で見た地方競馬のレースだったのである。
当時から大井競馬場では
既にナイター競馬が行われていた。
学生時代の競馬仲間の中に、
大井競馬場内の売店でアルバイトをしている人間がいて、
地方競馬についての話も聞かされたことがあり、
行ってみたいと思ったのだが、
当時から貧乏学生で
おまけに運動部に所属していた私は
時間的にも、経済的にも、
週末の中央競馬の馬券を買うのが精一杯という状況。
(それ以前に当時の競馬法では、学生は馬券を買ってはいけなかったのだが)
なかなか大井に足を運ぶ機会がなかった。
ところがこの日は祝日でたまたま時間があった。
卒業間際で運動部も引退しているから時間もある。
「週刊競馬ブック」の地方競馬関連ページを見ると
この日の川崎競馬場で「川崎記念」という
地方競馬全国交流のレースがあるという。
未経験だった「地方競馬」の世界を覗いてみたいという好奇心だけで
川崎競馬に足を運んだのだった。
この頃、川崎球場を本拠地としていた
ロッテオリオンズのファンだったこともあって、
川崎競馬場の場所についてはある程度の見当がついていた。
それでも
「あんな所で本当に馬なんか走っているのだろうか?」という疑問が
中央競馬しか知らなかった私にはあった。
だから現在はコンビニがある角のあたりから(だったと思う)、
パドックを歩く馬の姿を目撃した時、
ちょっとした感動があった。
場内に入ってそのパドックを改めて見る。
以前に入ったことがある府中や中山のパドックとは
その大きさが明らかに異なる。
でもそれでもパドックとしてしっかりと機能しているのだ。
こんな競馬場もあるんだなあ。
そんな発見にちょっとした喜びを見出した。
当時の川崎競馬場は今のようなナイター設備はない。
女性や若者が足を運べるような雰囲気とは程遠い競馬場だった。
第一京浜を挟んだ反対側には歓楽街という立地も
その独特の雰囲気を作り出していたような記憶がある。
場内で当時の私よりも若い人を探すのは非常に難しかった。
そう考えるとここ10数年で
この競馬場は大きく変わったものだ。
この川崎記念を制したのはハシルショウグン。
この馬の名前は以前からよく覚えていた。
前年の中山競馬場で行われたオールカマーで
同じ大井・赤間清松厩舎のジョージモナークと激しいハナ争いを演じた馬であり、
その後のジャパンカップにも地方競馬代表枠で出走していた馬だった。
トウカイテイオーがナチュラリズムに競り勝ったあのレースにも姿があった馬を、
スタンド2階からでもステッキの音が聞こえるほどの近さで
見ることが出来るとは・・・。
写真判定ながらもゴールの瞬間にガッツポーズを
見せた鈴木啓之騎手(現調教師)の姿は
今でも鮮明に覚えている。
当時は中央競馬との交流レースではなかった川崎記念。
その注目度は今とは比較にならないほど低いものだった。
それでもレースの勝ち負けに熱くなる人達がいる。
その点では中央競馬と全く変わらないものだった。
これも中央競馬と同じ競馬なのだ。
当たり前の事かもしれないが、
当時は中央競馬しか知らなかった自分には
非常に新鮮なことのように思えた。
そのハシルショウグンを次に生で見たのはこの年のオールカマー。
川崎記念の後、帝王賞と大井記念を連勝して、
南関東のNO.1ホースとなったハシルショウグンは、
ツインターボの大逃げで場内がどよめく中、
中央のG1馬ライスシャワーとの競り合いを制して2着を確保する。
自分が見ていた位置からの距離は遠くなったが、
それでも川崎であの時見たハシルショウグンであることには変わらない。
あの距離感のない川崎競馬場で見たレースと
当時からよく見ていた中央競馬の重賞競走との間で見つけた
「ハシルショウグン」という接点。
それはまだ競馬歴が浅かった自分には
新たな発見のように思えた。
初めて生で見た地方競馬の重賞競走・川崎記念は
中央競馬・地方競馬を現在も共に見続ける自分にとって、
そのひとつのきっかけとも言えるレースだったのである。
1993年2月11日(木・祝)
第42回川崎記念
川崎・ダート2000メートル
1着2枠 2番ハシルショウグン(大井・57・鈴木啓之) 2分8秒1
2着1枠 1番タケデンマンゲツ(宇都宮・56・平澤則雄) ハナ
3着8枠11番パワーデイクター(船橋・57・ 田部和廣) 3
4着7枠 9番ハナセール(大井・57・高橋三郎) 1
5着6枠 8番グレイドショウリ(大井・57・石崎隆之) アタマ


