01)重賞回顧の最近のブログ記事

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府中の直線半ばで馬場の中央から
ローレルゲレイロが抜け出してくる。
藤田伸二騎手はもしかすると「勝てる」と思ったかもしれない。
単勝1番人気ながらオッズは5.5倍。
「断然の1番人気」とは言えない。
前年の朝日杯フューチュリティSも含めて
重賞で2着が4回もある「最強の1勝馬」だったのだが、
しかし見方を変えれば「勝ち切れない馬」でもあった。
だからこそファンは評価に迷う。
5.5倍はそんなファンの迷いが数字となったものだった。
だがそんな馬がG1(Jpn1)の大舞台で馬群から抜け出してきた。
微妙な評価もこの勝利で覆すことが出来る。
藤田騎手はもちろん、
陣営も夢が現実になる瞬間に胸が高鳴ったのではないだろうか。

しかし次の瞬間である。
その外から1頭の牝馬が襲い掛かる。
そしてローレルゲレイロを1/2馬身交わして
先頭でゴール板を駆け抜けた。
藤田騎手、ローレルゲレイロの関係者、
そして同馬の単勝や1着付の馬単、3連単を持っていたファンは、
その瞬間にきっと大きなため息をついたに違いない。
そのローレルゲレイロを交わして
このレースを制した牝馬とは・・・。

ピンクカメオ。
単勝オッズ76.0倍の17番人気。
14着に敗れた前走の桜花賞から12キロも馬体重を減らしていた。
「こんな馬、買える筈がない」
そう思わず口にしそうになった人もいただろう。
だがそんな人もこの鞍上の姿に黙らざるを得なかった。
内田博幸騎手。
当時はまだ大井競馬所属のジョッキーだった。
だが中央競馬に参戦する度に勝ち星を積み重ねるその姿に
誰もが凄みを感じていた。
時には人気薄の馬を馬券圏内に持ってきて、
「どうしてこんな馬を・・・」と思わずつぶやいた人もいただろう。
その内田博幸騎手がとうとう中央のG1(Jpn1)でもやってしまったのだ。

レース直後のことである。
G1を勝った中央のジョッキー達と同じように、
ただ1頭だけ芝コースを引き揚げてウイニングランを披露する内田博幸騎手とピンクカメオ。
そんな人馬に歓声を送る府中に集まったファン達。
その様子を見ながらふと思った。
この光景、違和感は全くない。

既に数多くの外国人騎手が短期免許で来日し、
地方競馬からJRAへの移籍を果たした騎手もいる。
G1を勝つ程の名手に所属など関係ないことを
ファンも既に学んでいるということなのか?
一方でJRA生え抜きのジョッキー達の意識はどうなのだろうか?

この日の東京競馬場はG1デーとしては
スタンドにもパドックにも余裕があり、
やや盛り上がりに欠ける印象の1日でもあった。
雨の影響もあったのだが。
こうした状況下で地方競馬所属騎手が勝ったこともあり、
様々なことを考えながら
表彰式を見ていたことを覚えている。


2007年5月6日(日)
東京11R
第12回NHKマイルカップ(G1)
東京・芝1600メートル

1着7枠14番ピンクカメオ(55・内田博幸) 1分34秒3
2着5枠10番ローレルゲレイロ(57・藤田伸二) 1/2
3着8枠18番ムラマサノヨートー(57・小林淳一) 1/2
4着6枠12番シベリアンバード(57・田中勝春) 頭
5着6枠11番トーホウレーサー(57・四位洋文) 1 1/4 

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「どうせ捕まってしまうのだろう」
イングランディーレの大逃げを見ながら
そんな事を考えていた。
近2走は名古屋、船橋の交流重賞でも取りこぼしていた馬である。
芝コースでネオユニヴァースやザッツザプレンティなどのG1馬や
前年の有馬記念2着馬リンカーンなどを相手にしているのである。
逃げ切るなどということはあるまい。

そのイングランディーレの手綱を取る横山典弘騎手以外の
ジョッキー達も同じことを考えていたのだろうか?
イングランディーレとの差はなかなか詰まらない。
2周目の3コーナーに差し掛かる。
坂がイングランディーレを待ち構える。
この坂で脚が上がるに違いない。

イングランディーレの逃げをノンビリと見ていた私が
異変に気がついたのは坂の下りでの事だった。
馬上の騎手達の手が激しく動く。
しかしイングランディーレはマイペースを維持したまま坂を下り、
4コーナーから直線へ。
他の人馬たちはもっと早く
イングランディーレを捕まえに行かなければならなかったのだ。
明らかに仕掛けが遅れてしまった。
その異変に気がついたダミアン・オリヴァー騎手のゼンノロブロイ、
四位洋文騎手のシルクフェイマス、
後藤浩輝騎手のチャクラが懸命に前を追い、
イングランディーとの差を詰めようと試みる。
だがイングランディーレの脚色は最後まで衰えなかった。

ゴール板を過ぎて左手を突き上げた横山典弘騎手。
ターフビジョンに映ったその姿には白い歯が見えている。
まさに「してやったり」の表情だ。
一方で他の騎手たちの心境はどうだったのだろう?
イングランディーレを軽く見過ぎたことへの後悔の気持ちだったのか?
それとも自分の馬でどうやって3200メートルを乗り切るかに必死で、
イングランディーレの事を考える余裕もなかったのか?
落胆?不可解さ?それとも怒り?
レース後の場内は奇妙な空気に包まれたのを覚えている。
天皇賞・春における「3200メートル」という距離に
疑問を抱く声が上がり始めたのはこの頃からだったかもしれない。

表彰式前、芝コースではいつも通り、
口取り撮影が行われる。
その最中、
一部のファンからこんなヤジが飛んだのを記憶している。

「(イングランディーレの関係者が)それしかいない筈はないだろう!!」

確かに普段のG1レースよりも口取りに姿を現した関係者の数は少なかった。
顔を出しにくい立場だった人もいたに違いない。
そんなヤジと口取りの様子がレース後の雰囲気を象徴していた。
もちろんそんな中でも横山典弘騎手だけは満面の笑みを浮かべていたのだが。


2004年5月2日(日)
京都11R
第129回天皇賞・春(G1)
京都・芝3200メートル

1着3枠 6番イングランディーレ(58・横山典弘) 3分18秒4
2着8枠16番ゼンノロブロイ(58・D.オリヴァー) 7
3着4枠 8番シルクフェイマス(58・四位洋文) 1 3/4
4着5枠 9番チャクラ(58・後藤浩輝) 1/2
5着1枠 2番ナリタセンチュリー(58・吉田稔) 1 1/4

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皐月賞は単勝2番人気で13着。
続く日本ダービーでは
5番人気とファンの支持を下げながらも、その評価を覆す2着。
そして1番人気に支持された菊花賞では5着。
クラシック戦線でタイトルを獲得することは出来なかった。
それでもリーチザクラウンは馬券戦術上、
ファンが無視することは出来ない存在であり続けた。
そして日本ダービーでは実際に馬券に絡む活躍を見せた。

だが菊花賞が終われば、
今度は上の世代の馬たちとの対決が待ち構えている。
ジャパンカップ9着、そして有馬記念13着。
同世代の馬たちとの対決の場合は、
「その距離をどうやって克服しつつ、結果を出すのか?」が問われる。
だが古馬との対戦では、
その馬自身の「ベスト条件」が問われる。
ジャパンカップと有馬記念の2戦はその方向性を見直すきっかけとなったのかもしれない。

前走は自身初となるダート戦のフェブラリーSに出走。
驚いたファンも多かったに違いない。
だがリーチザクラウン陣営としては、これも試行錯誤の一環だったのだろう。
結果は10着という、散々なものだった。
だがこれで試行錯誤を止める訳にはいかない。
次に選択したのは芝のマイル戦、マイラーズカップだった。
逃げるシルポートを直後でマークする形でレースを進め、
直線でシルポートを交わして先頭に立つ。
馬群の内側から急襲してきたトライアンフマーチに抵抗に苦しみながらも、
最後までその先頭を譲ることはなかった。
前年のきさらぎ賞以来の勝利である。
クラシック戦線での存在感は本物だった、と感じた人も多かっただろう。

予め決まった舞台をどうやってクリアするのか?
が問われている牡馬クラシック3冠戦線に対し、
古馬混合の対戦では自身に合った舞台は何か?
が問われる。
ジャパンカップ以降のリーチザクラウン陣営のレース選択から見えてくるのは、
そんな試行錯誤の様子だったのではないだろうか?
皐月賞、日本ダービー、そして菊花賞は一生に一度しか出走できない。
だがその菊花賞が終わった後も、
多くの競走馬たちの多くは戦いを続ける。
その後々まで続く戦いに必要な要素は何か?
を再認識させられたマイラーズカップとなった。

2010年4月17日(土)
阪神10R
第41回読売マイラーズカップ(G2)
阪神・芝1600メートル

1着8枠18番リーチザクラウン(57・安藤勝己) 1分32秒9
2着1枠 2番トライアンフマーチ(57・岩田康誠) クビ
3着6枠12番キャプテントゥーレ(58・川田将雅) 1 1/4
4着4枠 7番セイウンワンダー(57・福永祐一) 3/4
5着5枠 9番スマイルジャック(57・三浦皇成) 頭  

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率直に言って「G1」という雰囲気ではなかったように思う。
いや、そんな雰囲気を望むことさえ許されなかったというべきか。
当然の事なのだ。
こうして「競馬」が目の前で行われることそのものを
喜ばなければならないのだから。

東京競馬場で皐月賞がおこなわれるのは、
ヤエノムテキが勝った1988年以来のことである。
同じ皐月賞でも、
府中と例年の中山とでは雰囲気が違う。
でもそんな事を指摘してはいけない。
東日本大震災以降、関東地区ではしばらくの間、
「競馬再開」さえ考えることが出来ない状態だったのだから。
スタンド内の照明も一部が消えていて、
普段よりもやや暗い印象を受けた。
そして開門直後のターフビジョンには
「節電のため、1Rのパドック開始時刻までは放映しません」との表示がある。
再開されたと言っても、
世間一般の状況に配慮しながらの「競馬再開」だった。
それでも私も周囲の人達も皆、再開された競馬に歓声を挙げ、
馬券に一喜一憂する。
少し前までは考えることが出来ない光景だった。

その府中での皐月賞を制したのはオルフェーヴル。
後の3冠馬もこの時は単勝オッズ10.8倍で4番人気という低評価だった。
何故当時、多くのファンはこの馬を評価しなかったのか?
前年2010年の京王杯2歳Sで10着と大敗していたこと、
そして全兄のドリームジャーニーもこの左回りの府中で大敗していたこと、
きっと低評価の理由はそんな所だったのかもしれない。
「例年通り、中山で皐月賞をやっていたら買うのだけど」
そんな声も耳にした。

しかしオルフェーヴルはそんな「府中は不向き」という評判をあっさりと覆した。
1番人気に支持されたサダムパテックに3馬身差をつける快勝を演じた。
オルフェーヴル自身は左回りの府中への苦手意識など、
初めからなかったのかもしれない。
でも「中山」「東京」「右回り」「左回り」といったキーワードにこだわっていた私には、
そんなこだわりをオルフェーヴルに笑われているような気持ちになった。
そして、

「色々な事があった後なのだから、
中山で出来ないことをウジウジ言っても仕方が無いだろう。
与えられた環境で全力を尽くすしかないのだよ。」

とオルフェーヴルに怒られているような錯覚に陥った。
そんな感覚を味わったのは
もしかすると私だけではないのかもしれない。

オルフェーヴルはその後、
ダービー、菊花賞を制して3冠馬となり、
年末の有馬記念でも古馬を相手に勝利し、
日本競馬界のナンバーワンの座を獲得。
その強さに多くのファンが酔いしれた。
だが、私がこれまで見た「3冠馬」のナリタブライアンやディープインパクトの
皐月賞優勝時とは少し違う感覚が、
当時のオルフェーヴルの記憶として残っている。
きっと例年とは違う状況下での皐月賞だったからなのだろう。


2011年4月24日(日)
 東京11R
第71回皐月賞(G1)
東京・芝2000メートル

1着6枠12番オルフェーヴル(57・池添謙一) 2分0秒6
2着2枠 4番サダムパテック(57・岩田康誠) 3
3着1枠 2番ダノンバラード(57・武豊) 1 1/4
4着7枠15番デボネア(57・佐藤哲三) 3/4
5着3枠 5番ナカヤマナイト(57・柴田善臣) 1/2  

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「直接対決」はこれが2度目である。
だが後々まで語られるライバル関係となったきっかけは
この「2度目の対決」となった桜花賞ではないだろうか?

初対決は前走のチューリップ賞だった。
ハナに立ってレースを引っ張る形となったダイワスカーレットを
ゴール板手前で捕まえた前年の2歳女王ウオッカがクビ差制して先頭でゴール。
僅かの差ではあった。
でもこの結果をもって、
この2頭については「勝負付けは済んだ」と思った人もいたに違いない。
例年の桜花賞ならそんな感覚にもなるだろう。
だがこの年の桜花賞は違っていた。

チューリップ賞でダイワスカーレットは上がり3ハロン33秒9。
逃げ・先行馬としては上々のものと言っていいだろう。
しかし桜花賞でのダイワスカーレットが見せた上がり3ハロンは33秒6。
チューリップ賞よりも更に上がりが速くなったのは、
ハナに立たずに3番手から直線で抜け出す競馬を見せた事が理由だろうか?
残り400メートルから200メートルの1ハロンは10秒6をマークしている。

ウオッカはチューリップ賞と同様、
直線でダイワスカーレットを追いかける形となった。
だが上がり3ハロンはダイワスカーレットと同じ33秒6。
懸命に末脚を伸ばそうとするも、
ダイワスカーレットとの差はなかなか詰まらない。
結局、最後まで1馬身1/2差が残ったまま、
ダイワスカーレットに桜の舞台における主役の座を譲ることになった。

ダイワスカーレットとウオッカ。
2頭の再対決の舞台となった秋華賞では
牡馬を相手にダービー馬となったウオッカをダイワスカーレットが再び完封。
年末の有馬記念では、
ダイワスカーレットはマツリダゴッホのイン強襲を許すも2着を確保。
一方のウオッカは中団から伸び切れずに11着と惨敗した。
しかし翌年の天皇賞・秋でこの2頭は
日本競馬史に残る激しい叩き合いを演じてハナ差でウオッカが勝利。
同世代の牝馬2頭によるライバル関係は
古馬・牡馬をも巻き込む「頂上決戦」として、多くの競馬ファンを熱くした。
この「名勝負物語」を語る上で桜花賞は欠くことができないレースと言っていいだろう。
だが桜花賞の時点では、
この2頭の関係が後々まで続く激しいものになるとは
誰も予測出来なかったのだが。

2007年4月8日(日)
阪神11R
第67回桜花賞(G1)
阪神・芝1600メートル

1着8枠18番ダイワスカーレット(55・安藤勝己) 1分33秒7
2着7枠14番ウオッカ(55・四位洋文) 1 1/2
3着2枠 3番カタマチボタン(55・藤田伸二) 3 1/2
4着3枠 6番ローブデコルテ(55・福永祐一) ハナ
5着4枠 7番イクスキューズ(55・北村宏司) 1 1/4 

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このレースが終わって何日か経ったある日の事だった。
当時勤めていた会社の同僚から声をかけられた。

「ホクトベガって、ドバイに行ったんだよね?
結果はどうだったの?」

その同僚はあの悲劇を知らない様子だった。
当時は今ほどインターネットは普及していない。
あの出来事を報じるスポーツ紙を見逃してしまったとしたら、
週末の中央競馬中継番組を見るまでは
その結果を知ることは出来ない可能性が高い。
だからそんな事を私に聞くのも仕方がなかったのだろう。
私はその時点でレース結果については知っていたが、
その同僚への答えに詰まってしまったことを覚えている。

レースの映像を見たのは
週末の中山競馬場だったと記憶している。
前の馬と接触して転倒するホクトベガ、
そして更に後続の馬も巻き込まれる様子を目の当たりにする。
思えば府中、川崎、高崎、船橋、大井、浦和、盛岡など、
日本にあるどの競馬場のダートコースでも
スピードの違いもあって途中からハナに立っていたホクトベガが、
馬群の後方からレースを進めている時点で異常だった。
日本にいる時と同じような競馬をしていれば、
「前の馬に接触する」ということは考えにくい光景だったのだから。

「何故前に行かなかったのか?」
「いや行けなかったのかもしれない。」
色々な事を考えた。
これが「日本馬が海外で戦う」という事なのかもしれない。
その厳しさを日本のファンは思い知らされることになったということか。
勝ち馬が前年のジャパンカップ優勝馬シングスピールだったということも
その現実を更に衝撃的なものにしていたように思えた。
芝コースでも世界の頂点に立つスピードがなければダメなのか・・・。

でもこんな形で教えてくれなくてもいいではないか。
ホクトベガが国内のダート戦線で圧倒的な内容で勝ちまくる姿を何度も見てきただけに、
その喪失感を感じずにはいられなかった。
もちろん関係者の喪失感は
私や多くの競馬ファンとは比較にはならないものだったのだろうから、
あまり感傷的なことを書くのは無責任なのだろうけど。

今年もドバイワールドカップデーがやってくる。
2001年にステイゴールドがドバイシーマクラシックを勝った時は
高松宮記念当日の中京競馬場でその映像が流れる度に、
場内から拍手が湧き上がったことを覚えている。
そして昨年2011年のドバイワールドカップでは
ヴィクトワールピサとトランセンドによる日本馬ワン・ツーに、
震災直後で心が沈んでいた日本の競馬ファンの多くが涙を流した。
ドバイワールドカップデーは
日本のトップホース達が毎年様々なドラマを見せてくれる舞台でもある。
でも同時に、いやだからこそ忘れることが出来ないのだ。
ドバイに散ったダートの名牝・ホクトベガの存在を。

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牡馬1000キロ。牝馬980キロ。
「パワー勝負」のばんえい競馬ではあるが、
これだけの荷物を引っ張るレースは年間を通して1つしかない。
それがばんえい競馬では最高峰のレース、ばんえい記念(BG1)。
帯広競馬場を本拠地とするファンでも
普段はなかなか目にすることが出来ない光景が繰り広げられる、
ばんえい競馬の中でも特別なレースである。

普段のレースならスタートした時の勢いで一気に駆け上がり、
そして駆け下りる第1障害。
しかしこのレースではほぼ全ての馬が脚を止める。
1トンもの積載重量を引いて2つの障害を乗り越え、
200メートル先のゴールを目指す為には、
この第1障害でも一度は息を入れる必要がある。
どの馬も引いている荷物は自分の体重とあまり変わらないのだ。
その先の第2障害をクリアするためにも
スタミナを温存しながらレースを進めなければならない。
どの馬も少し動いては止まる。
そんな動きを繰り返しながら、
最大の難所である第2障害へゆっくりと近づいていく。

だがこの年のばんえい記念はこの段階で異変が起きていた。
その手前の第1障害をクリアするのに手こずっていた馬がいたのだ。
その馬の名はダイニハクリュウ。
これが重賞初挑戦だった。
いきなりの一線級相手の競馬である。
敵は強力な他の出走馬たちだけではない。
このレース以前に自身が経験している最も重い積載重量は730キロ。
この日は更に270キロも重い荷物を引かなければならなかったのだ。
いつもなら軽くクリア出来る第1障害も
この日のダイニハクリュウには高い壁のように思えていたに違いない。

レースは近年でも珍しい5分を超えるタイムでの決着となった。
タイムが遅いからといって、
「レベルが低い」などと思ってはいけない。
積載重量だけではなく、
馬場そのものもパワーを要求される状態だったのだから。
そんな我慢比べに似たパワー勝負を制して
最初にゴール板を駆け抜けたのは前年の覇者トモエパワー。
「力比べなら任せろ」と言わんばかりに
懸命の粘りを見せるミサイルテンリュウをねじ伏せる。
そして牝馬のスターエンジェルがその後にゴール板を通過した。

帯広競馬場でこのレースを見ているほとんどの人が馬券を買っている。
その馬券の当たり・ハズレは
スターエンジェルがゴール板を通過した時点で判明している。
だが誰もその場を動こうとはしない。
馬券の対象から外れた4着以下の馬たちが続々とゴール板を通過する。
その度に拍手と歓声が上がる。
単勝2番人気に支持されていたナリタボブサップは6着。
3番人気でこれが引退レースだったアンローズは7着。
馬券を買っていた人にとっては様々な想いがあったに違いない。
それでも2つの山と200メートルの距離を走り抜けた馬たちに拍手と歓声が起こる。
これがばんえい記念なのだ。
「馬券」というファンの側にある一つの勝負を超越した所に
もっと大きなドラマが出来上がっている。

ヨコハマイサムが9番目にゴール板を通過。
走破タイムは既に8分を超えている。
だがまだ1頭だけゴールにたどり着いていない馬がいる。
第1障害の時点でモタついていたダイニハクリュウである。
何とか到達した第2障害と格闘をしている最中だった。
きっと体力の限界を超えていたに違いない。
障害の一番高い所に何とか脚を伸ばす。
場内からダイニハクリュウに声援が飛ぶ。
その脚が山の下りに踏み込んでいく。
馬体が、続いてソリが下り坂に差し掛かる。
大きな歓声が上がる。
「もう少しだ!あともう少しだ!!」
時々止まりながらも一歩一歩ゴールを目指すダイニハクリュウ。
ようやくゴール板に差し掛かる。
場内の歓声が大きくなる。
ソリの一番後ろがゴール板を通過した時、
帯広競馬場は大きな拍手と歓声に包まれた。

記録上はタイム超過の為に失格となったダイニハクリュウ。
だが帯広競馬場で見ていた人にとって、
そんな公式記録は何の意味も持たない。
ダイニハクリュウはフラフラになりながらも2つの障害を乗り越えて、
1トンの荷物を200メートル先まで運んだのだから。
そしてそのゴールの瞬間を目撃しているのだから。

ばんえい記念当日の帯広競馬場には道内はもちろん、
全国各地からばんえい競馬ファンが集結する。
帯広競馬場に集まった人たちは皆、
この日にしか見ることが出来ないドラマがあることを知っている。

2008年3月23日 (日)
ばんえい・帯広10R
第40回ばんえい記念(BG1)
帯広・ダート200メートル(直線)

1着1枠 1番トモエパワー(1000・西弘美) 5分35秒8
2着8枠 9番ミサイルテンリュウ(1000・鈴木恵) 6分1秒9
3着7枠 7番スターエンジェル(980・安部憲) 6分22秒2
4着3枠 3番スーパークリントン(1000・藤野俊) 6分25秒3
5着6枠 6番シンエイキンカイ(1000・大口泰) 6分45秒6

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デビュー時から手綱を取り続け、
G1タイトルを手にするまでの活躍をした馬がいる。
しかしその後の成績が原因で一度はコンビは解消に。
そんな馬の手綱が再び自分に戻ってきた時、
騎手はどんな事を考えるのだろうか?

1999年の菊花賞を制したナリタトップロードと渡辺薫彦騎手。
しかしその菊花賞以降、勝ち星に恵まれずにいた。
2000年の有馬記念、
そしてこの年の京都記念では的場均騎手(現調教師)に手綱を譲ることに。
結果を残すことが出来なかったのだ。
この乗り替わりは仕方が無かったのだろう。

その的場均騎手は既に調教師試験に合格し、
2月に引退が決まっている身である。
京都記念の後、
その手綱は再び渡辺薫彦騎手の元に戻ってきた。
一度は解消となったコンビの復活である。
降板した当時、渡辺薫彦騎手にはきっと様々な想いがあったに違いない。
復活したコンビで迎えたこの阪神大賞典、
3コーナー過ぎから馬群の外を回って進出するナリタトップロードの姿は
そんな鞍上の想いが乗り移っているように私には思えた。

直線の入り口で先頭に並ぶナリタトップロード。
交わし去った後は一気に後続を突き放す。
前走までの「勝ち切れないナリタトップロード」の姿はそこにはない。
2着のエリモブライアンに8馬身差の圧勝ぶり。
そして芝3000メートル3分2秒5という、
世界レコードタイム更新というおまけ付きの結果に、
阪神競馬場は歓声に包まれる。

この勝利の瞬間に思い出した事があった。
1999年の皐月賞前の最終追い切り後に
メディアの取材を受けた渡辺薫彦騎手のコメントである。

「ナリタトップロードと僕のコンビネーションを見てください」

文字にすると力強いが、
クラシック戦線で注目を集める存在となるという
慣れない経験が来る緊張感のせいか、
非常に弱々しい声だったことを覚えている。
だがこの阪神大賞典の後、
当時の彼が語った
「ナリタトップロードとのコンビネーション」の意味を
思い出さずにはいられなかった。
前走までコンビを組んでいた的場均騎手は
彼より実績も経験も豊富なジョッキーであることは言うまでもない。
その的場均騎手でも導き出すことが出来なかったナリタトップロードの強さを
引き出して見せたのだから。

ナリタトップロードは渡辺薫彦騎手以外の騎手が主戦を務めていたら
もっと勝つことが出来たのではないか、という声がある。
私はそうは思わない。
この馬は渡辺薫彦騎手以外の騎手には
引き出すことができない「何か」があったに違いない。
だからこの馬の馬券を買う時は

「何とかしろ、渡辺!!
ナリタトップロードは強い馬だ。
でもその強さを引き出すことができるのは武豊でもオリビエ・ペリエでもない。
お前じゃなきゃダメなんだ!!」

と祈りながらレースを見ていた事を思い出す。
「名コンビ」と呼ばれた人馬は数多いが、
「ナリタトップロード&渡辺薫彦騎手」というコンビは
その中でも個人的に強く印象に残っている。

2001年3月18日(日)
阪神11R
第49回阪神大賞典(G2)
阪神・芝3000メートル

1着3枠 3番ナリタトップロード(59・渡辺薫彦) 3分2秒5
2着8枠11番エリモブライアン(56・藤田伸二) 8
3着6枠 7番ホットシークレット(58・武幸四郎) 1 3/4
4着1枠 1番タガジョーノーブル(57・福永祐一) ハナ
5着5枠 5番イブキヤマノオー(57・四位洋文) ハナ

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3歳牝馬クラシック第1弾・桜花賞(G1)。
このレースへ出走権を賭けたトライアルレースは
本番と同様に関西馬が圧倒的に強い、というのが例年の傾向だ。
長く続く「西高東低」の状況に加えて、
美浦トレセンから関西地区への輸送は
関東の3歳牝馬にとっては大きな負担を強いるものとなる。
それが「関東馬劣勢」の原因ではないか、と言われ続けている

しかしこの年に限っては
関東の人馬たちにそんな泣き言は許されなかった。
このレースの10日前、
2011年3月11日(金)に発生した東日本大震災が
全ての状況を一変させてしまったのだ。
そして東北地方の被害の大きさ、原発事故による「節電」の必要性、
そんな諸々の状況が
東日本地区を「競馬」など考えることが許されない状況に追い込む。
JRAは震災直後の12日(土)・13日(日)の競馬開催を中止。
再開されたのは翌週の19日(土)からとなったが、
被害のなかった西日本地区の阪神・小倉のみの開催で、
本来なら開催される筈の中山競馬場は被害を受けたこともあり、
中止を余儀なくされることに。

関東馬たちの生活・調教における拠点である
美浦トレーニングセンターも被害を受けた。
調教コースに段差や液状化現象が発生。
更に厩舎地区も断水に見舞われたという。
そして「地元」である筈の中山でのレースがない。
だが西日本には「戦う場所」がある。
彼らの仕事は「戦うこと」。
その場所があり、
自分たちにも参加する資格がある以上、
困難な状況はあろうとも、
輸送距離は遠くても、
「戦い」を挑まなければならない。

このフィリーズレビューは
当初の13日(日)から21日(月・祝)に変更して実施された。
震災から10日後の一戦である。
そのレースで馬群から突き抜けたフレンチカクタス、
そして2着に入ったスピードリッパーは共に関東馬。
元から劣勢で、しかも苦境に追い込まれた関東の人馬によるワン・ツー。
「関東馬、そして関東のホースマン達による意地」
と書いてしまうのは安易過ぎるだろうか?
だが元々の「西高東低」状態も、震災によって背負ったハンデも、
全てを乗り越えての勝利だったことは間違いない。
しかも精神面や肉体面から判断して、
最も影響を受けやすい3歳牝馬による結果だったことを忘れてはならない。

「3.11」の後、
東日本地区で中央競馬が再開されるまで1ヶ月以上を要した。
その間、関東の人馬は関西での厳しい戦いが続いた。
だがその関西地区で行われた再開直後の重賞で
関東馬がワン・ツーを決めたことは、
きっと他の美浦に所属するホースマン達に大きな勇気を与えたに違いない。


2011年3月21日(日・祝)
阪神11R
第45回報知杯フィリーズレビュー(G2)
阪神・芝1400メートル

1着6枠11番フレンチカクタス(54・北村宏司) 1分22秒3
2着7枠14番スピードリッパー(54・横山典弘) 1 1/4
3着3枠 6番エーシンハーバー(54・武豊) クビ
4着6枠12番ドナウブルー(54・リスポリ) クビ
5着4枠 8番ラテアート(54・松岡正海) 3/4

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同じ日本国内で騎手免許を有していながら、
騎乗可能な競馬場が
中央競馬が開催される場所と
地方競馬が開催される場所に分かれているというのは、
「日本」とか「世界」とか、
そんなレベルで考えると不思議な気分になる。
地方競馬所属騎手が条件付きで騎乗できる中央競馬のレースが増え、
そんなレースで結果を出すようになると、
そんな制度の問題点を指摘する人も増えるようになった。

一方でそんな不思議な制度であるが故に出来ることもある。
関西地区のスポーツ紙において、
中央競馬の予想コラムを連載する地方競馬所属騎手が存在するのだ。
自分が騎乗する日でなければ馬券を買うことは可能だし、
こうして競馬メディアで予想行為をすることも問題はない。
そう考えると面白い制度と言えるかもしれない。

その中央競馬の予想コラムを書く地方競馬所属騎手とは
園田・姫路競馬のナンバーワンジョッキー、
「キムタケ」こと木村健騎手である。
「当たる」「当たらない」は別にして、
地元の地方競馬でトップを走り続けるトップ騎手が
「馬券を買う立場」からの視点で語る「競馬」というのは興味深い。
関西にお住まいの方々が羨ましく思えるのは私だけだろうか。

2010年10月17日(日)、
アパパネが牝馬3冠を達成した秋華賞当日のことである。
この日、私も京都競馬場に遠征してこのレースを見ていたのだが、
その日の木村健騎手の予想コラムを今でも覚えている。
彼が本命に推した馬はそのアパパネではなかった。
だが彼がアパパネの牝馬3冠に期待していなかったことを
疑問に思う人は少なかったに違いない。
彼が◎を打った馬はショウリュウムーンだったのだ。

ショウリュウムーン。
この年の3月に未勝利戦に続いて連勝の形で
チューリップ賞を制し、
重賞タイトルと桜花賞への出走権を獲得した馬である。
雨で滑りやすくなっていた阪神の芝コースを物ともせず、
鋭い決め手で勝利した馬である。
この勝利に当時は多くのファンが驚いた。
単勝9番人気の伏兵だったこともあるが、
前年の阪神ジュベナイルフィリーズを優勝した
2歳牝馬王者アパパネを破っての勝利だったのだ。
大金星と言っていいだろう。

そしてそのチューリップ賞で
ショウリュウムーンを大金星へ導いた騎手こそが
木村健騎手だったのである。
この日の7Rに地元・兵庫の馬が出走した為に、
阪神で騎乗することになった木村健騎手。
ショウリュウムーンとの出会いも偶然に近いモノだったのかもしれない。
木村健騎手はそのワンチャンスをモノにした。
そしてこれが彼にとっても忘れることが出来ない
JRAでの重賞初勝利となった。

きっと最後の直線での手応えは
手綱を通して忘れることが出来ないものとなっているのだろう。
そしてそのレースでショウリュウムーンはアパパネを破った。
ショウリュウムーンの手綱を取る立場から
この馬の馬券を買う立場に変わっても、
その記憶は鮮明に残っているに違いない。
だからこそ前述の秋華賞での予想コラムでは、
アパパネの牝馬3冠よりもショウリュウムーンに注目したのだろう。

ちなみにこのチューリップ賞以降、
ショウリュウムーンと木村健騎手とのコンビは一度も実現していない。
きっと木村健騎手はショウリュウムーンとの勝負は馬券ではなく、
再び手綱を取る形で挑みたいのではないだろうか?
果たしてその日はやってくるのだろうか?
興味深いところである。

2010年3月6日(土)
阪神11R
第17回チューリップ賞(G3)
阪神・芝1600メートル

1着6枠12番ショウリュウムーン(54・木村健) 1分34秒7
2着8枠16番アパパネ(54・蛯名正義) 3/4
3着2枠 4番エーシンリターンズ(54・岩田康誠) 頭
4着2枠 3番オウケンサクラ(54・小牧太) 1 3/4
5着1枠 2番ラフォルジュルネ(54・藤岡康太) 1/2

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プロフィール

菅野一郎
(かんのいちろう・本名同じ)
「もっと競馬をやりたいな」で、
「第1回Gallopエッセー大賞(2005年)」において、
佳作を受賞。
現在、競馬読み物Webサイト
「WEEKEND DREAM」管理人を務める。
時には厳しく、時には温かく愛情を込めて、「競馬の未来」を語ります。

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